活動報告

自冶会防災訓練

今日自冶会第十市会の防災訓練が若草小学校で行われました。朝からの雨でしたので体育館で行いました。約300名の方が参加をしAED(心肺機能の再生)、毛布と竹を使用して担架での負傷者搬送訓練、119番での消防署との的確な連絡訓練、火災時の初期消火訓練等を行いました。
参加組織は、青梅消防署、青梅警察署、青梅市消防団、自冶会連合会第十市会の団体が参加をして行われました。これから災害が多くなる時期ですからこの訓練を通してしっかりと対応をしていければと思いました。

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東京水道労働組合三多摩地域協議会総会

東水労三多摩地協第18回定期総会へ社民党の代表として出席し、ご挨拶をさせていただきました!

東水労三多摩地協さんは社民党として、また高橋個人としても大変お世話になっている組合です。
毎回の選挙では候補者カーと一緒に回りながら、チラシ配布等を含めて中心的役割を担っていただいています。
今回の衆議院選挙でも、労選の中心を担っていただきました。私は三多摩地区の遊説責任者でしたので、労選との意思疎通を図りながら、一緒に運動を進めてきました。

東水労三多摩地協主催のバーベキュー大会に東交青梅班の大野班長さんに声をかけていただき参加とご挨拶をさせていただいたのですが、その後は組合員の皆さんとも交流を深めさせていただきました。

団結に 勝るもの無し 組合は

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青梅錬心舘忘年会

11月29日、私が後援会会長をしている剣道の錬心舘の忘年会を開催しました。
会には舘長、先生方、後援会の役員、保護者の方など役30名の参加がありました。
最初に舘長より、「今年は錬心舘にとって厳しい一年だったが、皆さんの理解や多くの強力で乗り切ることができた。錬心舘の剣道大会も今年は安部先生、萩野先生の追悼大会として行うことが出来た。来年についても大会を開催していき、大会財政の確立も図っていかなければならない。」とのお話がありました。
その後、参加した指導者の各先生より、1分間スピーチをしていただきました。
昇段審に受かった人、落ちた人、稽古に参加し切れなかった人等、自分の思いをお話いただき、乾杯して、懇親に入っていきました。
懇親の中ではやはり、剣道談議に花が咲き、保護者の皆さんは子供たちの稽古や試合の話で大いに盛り上がっていました。
楽しい時間はあっという間に過ぎ、最後に後援会長の私から挨拶をさせていただきました。
来年の2月には後援会、錬心舘の総会もあるので、大会の成功に向けて今から準備をしていかなければならないとのお話をし、忘年会を閉めさせていただきました。

自らを 鍛えし稽古 剣の道

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青梅市新体操クラブ発表会

29日は青梅市総合体育館にて第25回青梅市新体操クラブの発表会が開かれました。
私もここに、元青梅市スポーツ振興審議会の会長としてお招きいただきました。
青梅新体操クラブ25周年の歴史の中からは、オリンピック選手をはじめ、多くの優秀な選手を輩出しています。
今回の発表会では、年中さんから高校生まで、市内4つの教室の生徒が集まって演技が行われました。
発表会のテーマは「舞踏」との事で、特に舞うということが強調されていました。
参加した選手も、年齢、コースに応じてしっかりと練習した成果を出し切っていたようです。
また観客も、来賓や保護者を含め多数おられました。
このように素晴しい発表会を開催するにあたって、準備を進めてきた役員の皆さんや、指導者の方たちは、大変なご苦労だったと思います。
発表会の盛会、心より、お喜び申し上げます。

発表会 盛会の蔭 裏方が

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青梅市学校給食配膳員組合忘年会

28日、青梅市学校給食配食配膳員労働組合の忘年会にお招きいただき、参加させていただきました。
会場は、あきるの市「旧五日市」の料理屋さんでした。
毎年、給食の忘年会にはお招きいただき、ご挨拶もさせていただだいており、感謝してます!
今回の挨拶では、高橋勝のもちつき大会、バーベキュー大会への参加お礼と、政権交代後の労働者の生活改善への見通しを、私の視点からまずお話させていただきました。
また、今回の忘年会の主催者である給食組合に関する問題としては、臨時職員と正規職員との職員間格差の問題がありますが、この格差を解消するためには、組合を中心として団結して闘うことが最も重要かつ効果的な方法です。この戦いを今年も1年間力一杯行ってきた組合に敬意を表するとともに、高橋勝に対してご指導いただいたことに感謝を申し上げました。

乾杯の後、組合員の皆さんをゲームを楽しんだりし、懇親を深めました。給食の組合員の皆さん、楽しいひと時をありがとうございました。

年末に 議論深める 忘年会

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東京大空襲・戦災資料センター見学

この資料センターは東京都江東区北砂にあります。この見学の前段で西多摩平和センター、平和憲法を守る西多摩の会主催の学習会で予備知識をもって見学をさせていただきました。

最初にNHK作成の東京大空襲のビデオを見ましたが、改めて東京大空襲は無差別の爆弾投下であり、無差別の殺戮だったのだと感じました。ビデオの中には当時のアメリカ軍関係者の話、被災され犠牲になった人たちが黒山になっているところ、あつさを逃れるように川に入ってなくなった人の山などまさに地獄のような状況が映し出されていました。

このビデオを見た後に当時の説明を受けながら資料館を見学して回りました。

東京大空襲は1度だけでなく、3期にわたり、また広範にわたって空襲が行われたことなど、細かい展示がされていました。終戦間近の8月2日の八王子空襲や軍需工場への精密爆撃の様子なども展示されていました。
東京に空襲があったのは99日とされていますが、東京を目標として予定された爆撃だけでなく、本来の目標を爆撃できないため、東京を空襲したり、余った爆弾を東京に落とすような空襲があったとされていたとの話には大きな衝撃を受けました。

また、この資料館が民間で運営がされていることに驚きました。日本の首都、東京でこれだけの大きな戦争被害、多くの犠牲者を出している東京大空襲についての資料館がなぜ民営なのかと率直に思ったのです。
確かに、東京都の平和祈念館建設が中止になってしまったことが大きな要因として挙げられますが、戦争の悲惨さや惨たらしさ、そして愚かさを後世に残していくのは社会的にも意義のある重要な事業だと思います。そのため、平和祈念館の早期建設を求めていきたいと思いました。

平和な世 先人たちの 贈物

東京大空襲・戦災資料センター
私がいただいてきたリーフレットもこちらからダウンロードできます。

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第五福竜丸

11月7日西多摩平和センター主催の学習見学会に参加しました。

最初に見学したのは第五福竜丸展示館です。この第五福竜丸は反核平和の火リレーの出発点となる場所でもあります。
私は1度しか見学したことがなかったので、今回の見学会では改めて様々なことを学ぶことが出来ました。

第五福竜丸は現在東京湾を埋め立てた夢の島の中にある東京都立第五福竜丸展示館にて展示されています。
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この第五福竜丸は戦後一早く食料の確保のために作られ活動してきた船で、1954年3月1日午前3時50分ころ、ビキニ環礁付近で行われたアメリカの水爆実験の被害にあいました。乗組員23人は死の灰とも知らず白い灰を浴び続け、帰国し、東京の病院にて「急性放射能症」と診断されました。
アメリカの実験で使用された水爆はブラボー爆と呼ばれるもので、広島に落とされた原爆の千倍以上の破壊力を持つ爆弾でした。
この凄まじい威力の爆弾による実験で被害を受けたのは第五福竜丸だけではありませんでした。アメリカの観測班員、実験地から200キロから300キロ離れた島の住民の多くも被爆し、現在も後遺症で苦しんでいるそうです。

今日国連の中でも核廃絶に向けた決議がされましたが、運動を通してさらに核廃絶を進めていかなくてはなりません。

平和や核の問題を考える上で、第五福竜丸展示会を見学することは非常に有益ですので、皆さんにも見学に行かれることをおすすめします。

核廃棄 力を合わせ 実現に

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東京大空襲学習会

10月23日青梅市総合体育館で東京大空襲学集会が開かれました。
この学集会は、西多摩平和センター、平和憲法を守る西多摩の会の共催で行われました。

1945年の東京大空襲で、東京はアメリカ軍のB29による100回以上の無差別迫撃を受け、10万人余りが死亡し、100万人が被災したと言われています。
112人の原告は東京大空襲訴訟原告団を結成し、政府に対して「戦後の後始末をきちんとせよ」と謝罪と賠償を求めて、2007年3月9日に東京地方裁判所に提訴しました。

今回の学集会には二人の講師ををお招きしました。
一人目は、青梅市在住の被害者で、東京大空襲訴訟の原告団の一人でもある方です。この方には、当時の実態などについてご報告をいただきました。
印象的だったのは、ご家族についてのお話と、戦後苦労されたお話です。
講師の方は、当時11歳で、埼玉のお寺に一人で疎開していたので一命をとりとめられたのですが、ご家族4人は東京大空襲により、尊い命を奪われてしまいました。
防空壕代わりに使用していた地下室から、お姉さんは椅子に座ったまま土砂で埋まったままの入り口に、階段の所では、お父さんと、お父さんに庇われたお母さん、また、その下からはお母さんに抱きしめられた弟さんが、発見されたのだそうです。「まさに父が母と子を、母は子を守る形だった」とお話しいただきました。
その後、講師の方は、上野の地下道で「浮浪児生活」もしたり、生きるために悪いこともしそうになったり、とても学校で学べる状況ではなかった辛い常況を経て、祖父母の写真展の再開で戻り、家業の手伝いをしながら現在に至っているそうです。
「青梅に住むことになった後も、両親がいないため大変苦労をしたが、国からの援助は何もなく、家族4人を亡くしている自分と、軍人の家族として恩給等をもらう人たちとの間になぜ取扱の差があるのか」と訴えられる言葉に強く共感いたしました。

二人目の講師は、東京大空襲訴訟弁護団の一人である杉浦ひとみ弁護士です。
杉浦弁護士からは訴訟の経過等につきお話いただきました。
今回の訴訟は2回に渡って申立てが行われ、国の対応は、請求原因につき全部否認、証拠調べも不要とのことでした。
争点は、原告より、①外交保護義務違反②救護義務違反、立法の不作為、行政不作為、先行行為に基く条理上の作為義務違反、被告より、いわゆる「受任論」で最高裁判決の引用がありました。
判決については、既に結審しているので、12月には出るだろうとの報告がありました。
他にも、原告被害者からの聞き取りをしている時に、余りの悲惨さに聞いている弁護士も涙してしまうような状況があったこと、また、この裁判が始まるにあたり、60年も前の事が本当に裁判として成り立つのかのと、不安もあったことなど、担当弁護士ならではの視点で率直にお話くださいました。

私はこの学集会を開催して本当に良かったと思っています!!戦争では軍人、民間人を問わず犠牲になり、かつ圧倒的に多かった民間人の被害は救済されず戦後何年にも及んでいる事実、戦争で得るものは本当に何もないとの事実を再確認できたからです。

このような貴重な経験を共有しているはずの現在の世界で、今なお戦争が起きています。
戦争反対の運動を更に強化しなければと強く感じました。

裁判に 勝利するにも 運動を

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三多摩集会

10月21日三多摩集会が三多摩平和センター主催で開かれました。
ここには、平和センターに結集する労働組合、西多摩平和センター、八王子勤労センター、横田騒音訴訟、神奈川県厚木基地訴訟の仲間、平和憲法を守る西多摩の会、政党からは社民党、民主党などから、多くの仲間が集まりました。
米軍再編、米軍と自衛隊の一体化に反対し、横田基地の整理、縮小、撤去を求めることをメインスローガンにし、加えて、日米軍事同盟の反対、原子力空母の横須賀母港化の撤回、普天間基地の即時返還、辺野古への新基地建設反対、自衛隊の海外派兵反対、憲法改悪反対、ミサイル防衛の強化反対を掲げ、各団体より挨拶や決意表明がありました。

私は、社民党を代表して挨拶の壇上に立ちました。
私からは、社民党は連立政権に参加した政権与党として、三党合意の下でしっかりと平和問題に取り組んで行くこと、そして地域の皆さんと連携を更に強め、平和運動を連帯して行っていくとの決意を挨拶に代えさせていただきました。

その後、デモ行進が行われ、福生公園を出発し、横田基地を回って福生駅までのコースを歩きました。私達社民党は、この中で、社民党の旗を持って、歩いてきました。

団結に 勝るもの無し 闘いに

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「国際反戦デモに参加と理解」の訴えに参加

13日に福生駅にて国際反戦デモのための訴えがあり、私も参加してまいりました。
10月21日には三多摩平和運動センター主催の三多摩集会が行われます。米軍再編、米軍と自衛隊の一体化に反対し、横田基地の整理、縮小、撤去を求めるこの集会は、福生公園にて行われますが、午後7時30分からは会場を出発するデモも予定されています!
この集会の成功のため、様々な団体が共にチラシを配り、道行く人に参加を呼びかけました。

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社民党からは私、高橋勝が代表して訴えを行いました。
政権交代を実現し、現在は3党合意に基く政権運営が行われています。
そこでまず、平和に関する合意事項、特に沖縄県の普天間基地の県内移設、インド洋沖での給油活動、ソマリア沖の海賊対処に闇雲に自衛隊を出すことに反対であると私からは訴えさせていただきました。
続いて、西多摩にある横田基地の問題についても訴えさせていただきました。横田基地については、自衛隊航空司令部を移転し、米第5空軍司令部との共存による防空やミサイル防衛の運用に関する連携等日米の軍事一帯が進んでいるという現状があるからです。

ぜひ一人でも多くの方に福生市民会館のそばにある福生公園においでいただき、三多摩集会を共に盛り上げていただきたいと思っています。
もちろん、当日の集会でも、社民党の代表として私、高橋勝がご挨拶をさせていただく予定です。

運動で つかみとらねば 平和の世

福生公園

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